「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」
嶋田美子《White Aprons》 1993 エッチング 45 x 73.5cm
1911年、先駆的フェミニストの一人である平塚らいてうは、25歳で共同設立したフェミニスト雑誌『青鞜』でこの言葉を発表し、女性の生活と権利を男性への奉仕に捧げ、男性中心のイエを維持することを求める抑圧的な「良妻賢母」イデオロギーに対して深い怒りを表明した。平塚は1920年のエッセイ「社会改造に対する婦人の使命ー『女性同盟』創刊の辞に代えてー」の中で、1911年以来、自身の中心的なテーマは「女性もまた人間である」というシンプルでありながらもラディカルなものであったと振り返っている。しかし平塚は、1910年代後半までにはスウェーデンのフェミニスト、エレン・ケイの影響を受け、母性を女性の利他的かつ本質的な特性として強調する方向に転換した。このイデオロギーは、男性を労働者または兵士、女性を将来の市民を産み育てる国家の母と定義する日本の硬直した二元的ジェンダー観を覆すものではなかった。第二次世界大戦中、国家は母性を銃後のイデオロギーとして利用し、多くの第一波フェミニストたちは戦争を男性による制限から解放された公的領域での自己実現の機会と捉えた。しかし日本の敗戦後、ジェンダー平等を成立させたのは、日本のフェミニストではなくアメリカの占領であった。戦後憲法に男女平等が明記されたのは、22歳のアメリカ人女性ベアテ・シロタ・ゴードンの手によるものであり、女性の参政権はアメリカの力によってついに1945年に認められた。平塚は1948年のエッセイ「わたくしの夢は実現したか」の中で、新たな法的平等の意義は認めたものの、それが日本人女性たち自身の闘いによって勝ち取られたのではなく、外部の力によって与えられたことを嘆いている。戦後でさえ、母性は国家が女性に期待する役割の中心であり続け、平塚はそれをエンパワーメントの源として捉えたが、それは女性の生殖と育児の役割を国家の安定と未来の基礎と位置づける国家主義的な理想と絡み合ったままだった。
みょうじなまえ《Alter Dominant》 2025 ミクストメディア サイズ可変
今日、日本は『世界ジェンダー・ギャップ報告書2024』で146カ国中118位とされており、憲法上の保護があるにもかかわらず根強い構造的不平等が依然として存在する。国家政策は政治・経済領域における真のジェンダー平等を確保することなく、人口減少の解決策として母性を促進し続けている。
本展「『元始女性は太陽だった』のか?」は、日本の国家が女性の身体とセクシュアリティを歴史的に、そして現在もなお管理していることを批判的に捉え、構築された「母性という理想」に挑戦する。母性という概念は、第一波フェミニストが女性の本質的な役割として受け入れたものの、最終的には国家統制のメカニズムに組み込まれてしまった。本展では、この管理が帝国主義時代から現在、そして想像上の未来に至るまで、女性の人生をどのように支配してきたかを嶋田美子、山本れいら、みょうじなまえの3人のアーティストの作品を通して探っていく。日本の女性はこれまで真の自由を本当に得てきたのだろうか? もしそうでなければ、国家のための母としてではなく、太陽となるための解放をどのように達成できるのだろうか?
嶋田美子《Tied to Apron Strings》 1993 割烹着、腰紐、おもちゃのピストル、写真、軍人勅諭 サイズ可変
嶋田美子は戦時中の日本の女性の役割に着目し、母性、ナショナリズム、歴史的記憶の交差する点を検証する。1992年に始まった版画とインスタレーションによる「割烹着」シリーズは母性とケアによってなされたファシズムを捉え、女性が未来の兵士を育て、出征する兵士を賞賛し、家事労働を担ってきたことで、どのようにケアの提供者、養育者、そして戦争の推進者として動員されたかを問いかける。嶋田の創作にとって重要なきっかけは、1989年の昭和天皇の崩御だったという。昭和という時代(1926-1989)が振り返られる中で、メディアの報道はしばしば歴史をノスタルジアとして再パッケージ化し、女性の戦時中のナショナリズムへの積極的な参加を曖昧にした。市川房枝や平塚らいてうのようなフェミニストたちは、直接的な銃後の労働によって、あるいは母性(ケア)を国家のための道徳的象徴として定め、女性の戦争への関与を奨励した。こうした観点から嶋田は、第二次世界大戦において女性は戦争の犠牲者であったという意見に異議を唱える。1993年のインスタレーション《Tied to Apron Strings》では、家庭的な女性らしさと関連付けられてきた白い割烹着が、大日本婦人会などの戦時中の女性団体によって制服として再定義されたことを示しつつ、おもちゃの銃をかっぽう着に紐で結びつけることで、母性がどのように軍国主義のために利用され、またその加担が正当化されてきたかを露わにする。嶋田の作品は「母性による平和」という神話を解体し、国家によって課されたケアの役割がどのように女性の主体性を抑圧し続けているかを明らかにするのである。
山本れいら《Refracted Sunlight (屈折した太陽光) 4 (Article 215)》 2025 キャンバスにアクリル絵の具 d80cm(円形)
山本れいらは中絶が未だに刑法で裁かれている現状が、いかに女性の自由を制限しているかを明らかにし、社会的抑圧が身体と経済の両面における自由の欠如によることを示している。女性の身体の制度的制限は、女性をしばしば現代の政治家が「産む機械」と表現するような役割に追いやる。1907年に初めて制定された日本の中絶に関する法律の枠組みは、中絶を望む女性のみを罰することによって家父長制の支配を強化した。1948年の優生保護法は中絶を可能にしたが、それは戦後の人口増加を抑制し「不良な子孫」の出生を防ぐためであり、中絶は個人の権利ではなく国家の管理のための例外だった。優生保護法は1996年に母体保護法として改正され、現在、特定の条件下での中絶は許められているが、未だ妊娠22週以降の中絶は禁止されており、また既婚女性は夫の同意なく中絶することができない。中絶費用は保険適用外で10万円を超え、重い経済的負担が女性の主体性をさらに制限する。本展で山本が発表する「Refracted Sunlight(屈折した太陽光)」シリーズでは、18世紀の解剖学者ウィリアム・ハンターの妊娠子宮図を参照し、明治維新後の日本が西洋の男性中心的な産科学を採用したことを象徴している。妊娠子宮図のイメージは月の周期の描写と並置され、時間、制御、強制された生殖というテーマを強調しており、太陽によって照らされた胎児を伴う子宮は、国家政策が個人の選択よりも生殖を優先していることを示している。
Namae Myoji, Alter Dominant, 2025, mixed media, variable→みょうじなまえ《Alter Dominant》 2025 ミクストメディア サイズ可変
みょうじなまえのインスタレーション《Alter Dominant》は、人工子宮による妊娠・出産が一般標準となり、自然分娩が廃れつつある近未来の日本を描き出す。人工子宮という技術的変革の起きたこの世界では、皮肉にも保守的なイデオロギーが復活し、出産の痛みに耐え抜くことが本物の母性や深い母子の絆に不可欠だという社会通念が再び姿を現すこととなる。ディストピア的な視点によって想像されたこの社会通念は、女性が国家によって管理され、市場に先導されるかたちで痛みを再身体化することを余儀なくしていく。この保守的な価値観に後押しされるように、女性の体内に内部化することを目的とした新しい人工子宮技術が発明され、「自然な分娩」と「痛み」が消費者に購入可能な選択肢として提供されることとなる。このインスタレーションは、再現された診察室、人工子宮製品の立体モデル、新たな生殖技術を美化するファッション雑誌の見本、そしてこれらの変化が社会に与える影響を探る映像作品によって構成される。人工子宮によって妊娠機能が身体の外に一度外部化され、そして再び内部化されることで、みょうじなまえは母性、自然、技術進歩に関する文化的ナラティブの矛盾を浮き彫りにする。こうしたテーマを過度に商業化された条件下に置くことで、女性を解放するはずの生殖技術の進歩が、新たな管理の仕組みを通じてむしろ伝統的価値観を強化するというパラドックスを明らかにする。その結果、この作品は資本主義と社会規範が女性の身体をどのように形作るかということについて強烈な批判を呈し、身体の自己決定権の未来や生殖の政治について観客に再考を促す。
山本れいら《Refracted Sunlight (屈折した太陽光) 2 (Article 213)》 2025 キャンバスにアクリル絵の具 d80cm(円形)
「『元始女性は太陽だった』のか?」では、帝国時代のナショナリズムから現代の再生産に関わる政策、そしてスペキュラティブな未来に至るまで、女性の自己決定権に課せられた根強い制約を問い直し、国家と社会が女性の役割をどのように規定してきたかを検証することによって、進歩だけでは解放が保証されないことを描き出す。日本の第一波フェミニストたちが太陽を自分たちのものとして取り戻そうとしたのだとすれば、彼女たちの闘いはまだ終わっていない。真の解放は、外部の力によって与えられるものでも、母性、ケア労働、または技術進歩の枠組みに限定されるものでもなく、それは女性自身の言葉で定義されなければならないのだ――月としての借り物の輝きではなく、自ら発せられる自分自身の光によって。
オープンコール展示
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apexart 2025
1. 平塚らいてう. “元始女性は太陽であった”. 平塚らいてう評論集. 小林登美枝・米田佐代子編. 岩波書店、1987年、P9.
2. 平塚らいてう. “社会改造に対する婦人の使命”. 平塚らいてう評論集. 小林登美枝・米田佐代子編. 岩波書店、1987年、P151.
3. 平塚らいてう. ”わたくしの夢は実現したか?”. 平塚らいてう評論集. 小林登美枝・米田佐代子編. 岩波書店、1987年、P261.
4. 世界経済フォーラム. “世界ジェンダー・ギャップ報告書2024”. 世界経済フォーラム. 2024-06. https://www.weforum.org/publications/global-gender-gap-report-2024/digest/, (参照 2025-03-22).
5. Sieg, Linda. “Birth-giving Machine Gaffe Hits Nerve in Japan.” Reuters. 2007-08-09. https://www.reuters.com/article/world/birth-giving-machine-gaffe-hits-nerve-in-japan-idUST164441/, (参照 2025-03-22).
6. NHKハートネット. “『旧優生保護法』基礎情報・関連情報”. NHKハートネット. https://heart-net.nhk.or.jp/heart/theme/20/20_1/, (参照 2025-03-22).
7. しんぶん赤旗. “世界平均は780円 日本は十数万円? 中絶薬 安く手軽に 早期承認へ集会”. しんぶん赤旗. 2021-12-11. https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-12-11/2021121114_01_0.html, (参照 2025-03-22).
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